小判について(『日本貨幣カタログ2012』発行 日本貨幣商協同組合より引用)
金座は、はじめ小判座と呼ばれ大判を除くすべての金貨の鋳造を請け負いました。 それに関連して、上納金の鑑定(産出金は金座で品位の鑑定を受けなければ上納金として幕府へ差出すことも出来ない)、 金貨の包封(鋳造された小判は百両単位で包封金とし勘定所に上納)、新旧金貨の引換などを行いました。 また鋳造材料は幕府から預かった公儀吹元金(幕府直轄の鉱山からの金)や金座自ら調達しました。 豊臣秀吉の家臣として金貨鋳造を行っていた後藤徳乗の一門であった橋本庄三郎光次が分家扱いで後藤姓を許され、 家康について鋳造したのが始まりでした。 ※大判を両替商で交換すると、小判7枚(両)と一分金2枚(分)になります。 (注)大判の公定価格:1725(享保10)年当時の価格です(『造幣博物館資料』より引用)
徳川家康と小判
徳川家康は1595年(文禄4頃)京都から彫金師の後藤庄三郎光次を関東に招いて武蔵小判を鋳造させました。名前の通り家康の領地であった武蔵国だけで通用する領国貨幣でしたが、後の慶長小判の基となる貨幣でした。尚、江戸時代の貨幣単位である両・分・朱は、この頃甲斐の国、武田氏の貨幣制度を参考にしたと言われています。次に、家康は1600年(慶長5)には京都、佐渡にも金座を設け翌年から慶長小判・慶長一分判金を鋳造した。
(引用:江戸時代の小判金・分判金収集手引き【上級編】日本貨幣商協同組合加盟)
天保小判 堺五
日本貨幣商協同組合鑑定書付
極美
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文政小判 沙五
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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天保小判 堺生
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 並長
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
享保小判 六仁
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 沙生
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 八当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
元文小判 永亦
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 坂東
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 沙当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
天保小判 原当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
Sold Out
文政小判 坂当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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元文小判 セ甚
日本貨幣商協同組合鑑定書付
SoldOut
文政小判 堺五
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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文政小判 谷七
日本貨幣商協同組合鑑定書付
極美
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天保小判 谷当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
極美
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天保小判 並吉
日本貨幣商協同組合鑑定書付
準未
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万延小判 た七
日本貨幣商協同組合鑑定書付
極美
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文政小判 仲七
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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万延小判 九七
日本貨幣商協同組合鑑定書付
極美
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元文小判 松神
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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天保小判 正神
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
Sold Out
天保小判 八七
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
Sold Out
天保小判 甫神
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
Sold Out
文政小判 甫東
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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天保小判 久東
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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元文小判 並亦
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
Sold Out
文政小判 川当
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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天保小判 へい神
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品
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万延小判 九キ
日本貨幣商協同組合鑑定書付
美品 ふっくら型
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文政小判 へい五
日本貨幣商協同組合鑑定書付
線キズあり
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元文小判 小村
日本貨幣商協同組合鑑定書付
裏にスジ入り
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